超訳 国富論

投稿者: | 2020年2月4日 :

長らく書評を書いておりませんが、久々に紹介したいと思える本がありました。大村大次郎さん(もちろん益次郎をもじったペンネームでしょう)という、国税局OBさんが書いた本です。概要としては、アダム・スミス著の「国富論」という200年以上も前に発表された本の解釈本です。古典経済学上は、非常に重要という位置づけのようですが、経済学を学ばない限りは内容については知られていない印象です。しかし、ええ本でした、これ。

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本の価値は、新しい知識・新しい価値観や世界との対面であり、それは旅行と同じ範疇といっても過言ではありません。個人的嗜好ですが、私の中の「これはええ本やで!」という軸は、如何に難課題・難問題又は敬遠されている議題、勘違いされているテーマが噛み砕かれて非専門という意味での一般人でも分かるように平易に紹介・議論されているか、というところにあります。私のような経済学を学んでいないが、なんとなくアダム・スミスとか国富論とか、神の見えざる手というキーワードの表面だけを知っている人間にとって、この本は良本です。(経済学に明るい人にとっては、簡単過ぎると思われます)

国富論

そもそも、この国富論という本は、どのようにすれば国が富むか、いくつもの方針を記した指南書のようなものです。

時は18世紀、産業革命前後にあたるかと思いますが、大航海時代が終わり、スペインやポルトガルの隆盛が終焉いたしました。なお、アダム・スミスはスコットランド人であり、大英帝国に対してもフラットに評価しています。

私は、そもそもアダム・スミスという人は倫理学者だと思っていて、なぜなら大学の一般教養で受講した倫理学基礎論で学んだからです。もう20年以上も前なので、記憶は薄いですが、プラトンやソクラテスの古代哲学者から脈々と継がれる系譜と共に、アダム・スミスも紹介されていました。

しかしアダム・スミスが古典派経済学の祖として紹介されることが多いです。産業革命が成されたイギリスにおいて、社会が労働や価値をいうものを意識し始め、国富論においても経済社会を「資本階級」「労働階級」「地主階級」に別け、分析しています。地主階級というのは、その時代のイギリスでは極少数の人間が大地主として土地権利を所有する状態だったようです。家賃という価値についても分析がされています。

神の見えざる手

神の見えざる手、というと大げさですが、国富論・原文では「invisible hand」と記されているようです。「神の」という語彙が和訳時に付けられたということは、逆を言えば、国富論において非常に重要だと訳者は感じたのでしょう。

引用になりますが、神の見えざる手という表現は、以下のように使われています。

「個人個人が自分の利益を追求することによって、神の見えざる手に導かれるかのように社会全体の利益にもなっている」

この表現こそ、世間が誤解しているため、著書が説明したいといっているポイントです。

著者は、現代の利潤主義で上記の文章を引用されたりする場面を見て、原文とは意味合いが大きく乖離していると指摘します。儲け主義を貫けば、社会全体が富む・・・外資銀行に就職していった同窓生がそんなことを言っていました。

アダム・スミスは、前段にて経営者・資本家にはモラルを求めており、利潤のためなら何をやってもよいというような極端な考えは到底示しておりません。

国富論では、経営者は労働者を守る義務がある、とも説いているのです。その中で、市場調整論等で過度の政府介入が無く、個々で利潤追求する行為が結果的に国を成長させると説いているのです。

さて、現代の政府及び経営者はどうでしょうか?

政府は、サラリーマンに対して増税を重ねる一方、資本家に対しては優遇措置を取り続けてきました。結果的に、一億総中流社会から格差社会へ変貌しております。

経営者も労働者の賃金を上げることには積極的ではありません。ベアを渋り、融通が利くボーナスで労働者の賃金をコントロールしているのが主流のやり方ですね。

アダム・スミスの国富論からすれば、国が衰退する方向へ逆行しているかのようです。

需要と供給

アダム・スミスの有名な理論で、自然価格があります。

こちらも、神の見えざる手に導かれるように、需要と供給は均衡する、という記載があります。これが自由経済、市場主義、という風に捉えられています。

しかし、アダム・スミスは極端な市場主義者というわけではないようです。基本的には政府の介入は不要だが、必要に応じて政府は介入すべきと指摘していることが本書にても強調されています。

生産性と配分

大前提として、国が富むには、生産性の向上と適正は配分が必要とアダム・スミスは説いています。これは経営でも一緒ですが、現在においても同じ議論がされています。というか日本のホワイトカラーの生産性低すぎっしょと毎日感じているわたしとしては、同じ課題が書かれているこの本を涙なしでは読めません。18世紀には、既に経済・経営の本質を突いていたという事実に驚きますが、それがいまだに課題としてあるということにも驚きです。古典経済学といわれていますが、国富論はまだまだ読む価値のある本だということを痛感します・・・

本書は超訳ということで、初心者向けの本ですが、国が富むためにさまざまな方策を指南しており、現代の経済学の論文のような1つの論点を分析・精査するものとは異なります。著者の機会があれば原本も読んでみたいものです。

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