弁理士試験 不合格体験記

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以下、長いです。
不合格をわざわざ文章にして、公開する必要があるのかと思うところもありますが、受験生の方に参考になればと思い、公開いたします。

弁理士試験受験を決意するまで

弁理士試験とは?学生時代の挫折

さて、私が弁理士試験を初めて知ったのは、大学2回生の時のこと。西暦でいうと、2004年頃の話です。当時、京都の某国立大学理系学部2回生だった私は、入学当初は大学院などには進学せずに卒業後さっさと就職することを考えていましたが、なんせ大学生といえばモラトリアム地獄……右を向いても左を向いても、モラトリアム。自由気まま、学校行ったり行かなかったり、睡眠十分、勉強不十分、飲み会バイトサークル異性交遊、大変牧歌的な生活を日々過ごしていたため、社会人たる今から思えば、恐ろしいほどに時間を非効率的・非有効的に消費していました。そんな時、父親から「弁理士」という理系知識が活かせる資格があることを聞かされます。どうやら特許に関する資格だとか。本当は、うちの父親はを私には公認会計士になってほしかったようです。父親は小さな会社を経営していますが、きっといろいろと思うところもあるのでしょう。私が高校時代から、子供たちには士業としての生き方を強く勧め、結果うちの弟は弁護士になっています。まぁ、そんな超有り難い助言に対し、阿呆な私は理系に進学してしまうのですが……。
阿呆な私であっても将来のことをぼんやりと考えた時に、士業としての生き方の可能性を捨てたわけではありませんでした。また、幼き時から発明とか技術が好きだった私は弁理士という資格、仕事内容に強く興味を持ちました。では、どんな試験なのか調べてみよう。そして、忘れもしません、大阪梅田にある巨大書店でありかつマイフェイバリットスペースでもある旭屋書店へ早速向かい、弁理士試験に関する参考書BASICシリーズ(LEC書籍)を手に取ります。ちなみに、このシリーズはもう売っていません。さて開いてみて、ペラペラとめくり、そして思います。
「え、なにこれ、法律!?ちゃうねん、いや、ちゃうねん。何言ってるか全く分からんねんけど!」
当時の私は、意匠とか商標とかいう単語の意味すら分かりません。どこの頁を見ても、まったくもって意味不明です。あまりに重い内容でかつ未知の領域。しばらく読んでも頭が痛くなるばかりで、とてもじゃないけど、この資格を勉強する気にはなりません。私は静かに参考書を閉じ、立ち読みタイムは終了。そんな二十歳の思い出が、私と弁理士試験の初接点。まさかこの試験と十年の歴史を刻むことになるとは夢にも思いませんでした(注:受験したのはまだ1回)。

大学院への進学

本屋で挫折したものの、まだ弁理士というか士業への可能性は捨てていませんでした。とりあえず、大学で「知的財産論」みたいな講義を取ってみました。そして、速攻で行かなくなりました。うーん、モラトリアム……。その後、半年に一度とかで旭屋書店などで、同じテキストLECのBASICシリーズを読んでみては、閉じるという作業を繰り返しています。いつまでたっても、この本の内容を勉強する気にはならない……当初はそれくらい法律というものになじみがなかったのです。
さて、時は過ぎ、いつのまにか大学3回生になれば、就職か院へ進学の二択になるのですが、暇ボケしている私は、当然後者を選びました。そうです、就職を後回ししたのでした。といっても、研究に興味があったのもありますし、実験が始まってようやく大学へ通う異議を見出しはじめた日々でした。進学するのは悪くない選択だったと思います。そして、4回生、無事に大学院試験に合格、大学院へ進むころには、すっかり弁理士試験のことなど忘れていたのでした。

就職

さて、時はさらに過ぎ、西暦2007年。大学院1回生、いわゆるM1で、就職活動になります。当時、研究室生活は非常に楽しく、院進学は100%正解だったと心から思っていた私は、研究職を中心に就職活動を始めます。結果、東証1部上場 化学・原料素材メーカーの研究・技術職に内定します。リーマンショック前で、今と違ってM1の間に内定を得ることができました。一般的な知名度はゼロですが、某巨大掲示板などでは、隠れ優良企業として名前があがっており、まぁ何が言いたいかというとですね、結果には満足して就職活動は終えました。給料はそれなり、ホワイト企業、経営状況も盤石。こうやって並べると、本当に素晴らしい会社だったと今でも思います。あ、別に辞めていませんけどね。
しかし、この時は何も想像できていませんでした、就職後の生活というのは。

ライン工としての挫折

ついに大学院を卒業し、就職いたします。25年間関西に住んでいましたが、最初の配属は神奈川県湘南地域の都市で、ついに関西を離れてしまいます。この時購入した片道切符、入社式前日、同期とのお通夜のような晩飯、あぁ就職したいなんて嘘でした。心から大学生生活のことが好きでした、ありがとう大学生活、そしてさようなら大学生活!2009年の春のことでした。もう京都の桜は見れないのです。
さて、入社した会社で、私はなんと、製造職採用でありました。工場の現場に直接配属……ライン工としての採用でした。同期や営業職の人たちがたちが、短期的に研修としてやっている業務内容をとりあえずは当分もしくは永遠にしなければなりません。回りはほとんど地元の工業高校か農業高校出身です。その中に一人関西出身・旧帝大卒の人間。いや、ミスマッチだろう。さらにうちの会社は組合が非常に強く、製造員が地元でずっと働けるよう異動はありません。最初の配属とかいっていたのが、退職までずっとこの工場で働く前提の配属でした。また、管理職は基本的に開発・研究出身者がなると決まっている(単に人が余っている)みたいで、課長・部長・工場長、そろいもそろって研究所出身の人々です。まぁこれはミスったな、と。かなり絶望的でした。ライン工は与えられている作業をこなしていく楽しさというのがありますが、座る時間も無く体力消耗も激しい、知見・知識は全く身につかない、作業所から一歩も出ない、経験が全く積めない仕事でした。ただ5時に帰ることができます。寮に帰ったら、BLEACHとかの夕方アニメがふつうに見れます。また、チーム感のある職場だったので仲間にも恵まれ、辞めたいと思いつつも会社を辞めるなんて度胸もなく、だらだらと働き続けます。結局は、体力以外は本当に楽だったんですよね。責任は全く無かったですし、頭を使う仕事じゃないので、自分が本当にしたい事を毎日考えている日々でした。あとは、高卒の二十歳くらいの先輩たちとアニメの話したりゲームしたりカラオケしたりと、中学生に戻ったかのような、大学時代よりもさらに牧歌的な日々でした(今思うと青春だったのかもしれない)。

知的財産技能管理検定受験

そんな中、ふと弁理士の業務について考え直し、知財への興味はあったので、受験を挑戦する方向で考えます。いくらライン工の仕事が楽でも、年を取るにつれ、定年間際でこの肉体労働はできないと思い、危機感は増す一方だったのです。あとこの頃は多くの出会いがあり、リアルに友達の数が倍になり、様々な刺激を受けた日々でした。フェイスブックが流行ったおかげですね。ちなみに公認会計士も考えましたが、時は2011年ごろ、リーマンショック後の不景気で会計士でも就職難だというニュースがあったり、そもそも監査の業務に魅力を感じないし、また社会人から公認会計士目指すことはリスキーかなぁと考え、断念しました。
弁理士の試験適正があるか否かについて、弁理士勉強を始める前に「知的財産技能管理検定」を受験しました。まずは3級を、公式テキストを使用して勉強、2012年3月に受験し、合格いたします。さらには2級、これまた公式テキストを使用し、2012年11月に受験します。2級は、正答率80%で合格、特に学科科目は合格率は低いため、地味に結構難しい試験でしたが、さらっと合格してしまいました。資格勉強も結構楽しかったため、あぁ、これはいける、弁理士もいけるんじゃないか、と手ごたえを感じました。

怪我、年末年始の決意

就職してからというものの、年末年始の帰省において、自分のキャリアについて見つめなおすのが慣例となってしまいました。大手化学・原料素材メーカーに就職という超保守的な就職をした私ですが、性格まですっかり保守的になってしまい、現状を毎年嘆いては、父親に軽く怒らえるという正月を毎年迎えていました。しかし、この年は違いました。2013年の目標として、明確に弁理士試験受験、そして合格を目指すことを決意いたします。インターネットで情報収集し、LECが実績ナンバーワンであるなどから、LECへ通うと決心します。LECとは、旭屋書店でBASICシリーズを立ち読みして以来の遭遇です。知的財産技能管理検定受験後、軽く独学で弁理士試験勉強をしてみました。あのBASICシリーズは販売を中止していたので、この時は
TAC出版オンライン書籍サイト【CyberBookStore】
のエレメンツシリーズを使用しました。なぜ、TAC出版オンラインから買ったかというと、TAC書籍はオンラインだと常に10%オフで買えます。

しかし、勉強していきますと、明らかに知財検定と難易度が違う。やはりこの試験は受験期間の通学が必須であることを痛感していたのです。
久々に明るい正月を迎えることができました。2013年、いいことあるんじゃないか、そんな淡い願いは、それはそれはもう脆く簡単に、粉々に崩れることになりました、うん。

結婚、転職活動、復帰

私は、とある事情がございまして、休職してしまうことになったのですが、遠距離で5年交際していた彼女にゴールデンウィークという黄金休暇を潰してまで、迎えにきていただきました。もともと結婚する予定だったのですが、放っておくのも怖い、と不安がられて1ヶ月後に入籍いたしました。はい、会社を休んで、結婚しました。全社員の皆様すいませんでした。
結婚したといっても、一緒に住むまでに時間はありましたので、基本的には昼からゲーム(信長の野望)、ヒルナンデスの視聴、ゲーム(ウイニングポストとか信長の野望とか。足利家で3日くらいで天下統一をはたしました)、ベースの練習にピアノの練習、など自由気ままな日々を送っていました。これはもしかして、いつぞやのモラトリアム地獄、アゲイン……そして、その合間に転職活動を行いました。会社を休んでしまい、もう戻る場所も燃えて無いため、辞めるつもりの本気転職活動です。1年目にも、不本意な配属に転職活動をしたことがありましたが、本気度が違います。CRO、コンサル等をいくつか受けましたが、結論からいうと内定は得たものの、結果に満足しなかったため、転職は止めました。やはりネックだったのは、29歳になって、製造現場でのキャリアしかないことです。生産技術部門ですらなく、単なる現場作業員・ライン工としてのキャリアは、まったく転職市場で評価されず、むしろマイナスでした。内定先に転職しても年収・規模がダウンになるため、辞めるのを止めました。
この転職活動で、汎用的な専門性、これを持つことが重要であると思い知らされました。そして、私はLEC新宿エルタワー校へ行きます。弁理士試験を受験することを完全に決意します。2013年夏ごろでした。頑張れば、2014年度の試験に間に合いましたが、結婚式や新婚旅行、そして復職を控えていましたので、2015年度合格を目標にすることになりました。申込み開始は2014年になってからだったので、その時は申し込まずに終わりました。
そして、会社の復職の調整が始まりました。断固、現場作業員復帰を拒んだ結果、東京本社の生産管理系の職場に復帰することになりました。結局5ヶ月以上休職しました。その後2013年末、結婚式・披露宴をいたしました。100人のゲスト、二次会にも120人ほど来ていただき、新郎は半年会社を休んで準備した甲斐あって、大変盛大に行わさせていただきました。全社員の皆様どうもすいません。
そして、ついに弁理士試験に向けた勉強が始まります。

LEC申込み

2014年1月、インターネット経由でLEC 1年合格ベーシック+ アウトプット完成 コースを申し込みます。当初は、新宿エルタワー本校に通うつもりでしたが、引っ越して水道橋本校が定期券にあったため、納富講師担当の通学コースを申し込みました。
加えて、ようやく試験の概要をしっかりと把握します。まずは短答、合格者は論文、さらに合格者は口述と、3回も試験があるのかよ、と。申込みをした時は、まだそんな感じでした。



LEC通学開始

通学までに、旅行と事前視聴

さて、弁理士試験勉強に向けて、受験勉強期間にLECを選び、申込みをした私は、早速e-learningのかたちで勉強を開始します。LECはネット上にマイページがあり、そこで授業を視聴することができるシステムを取り入れています。そして1年 ベーシック + アウトプット完成 コースを申し込んだ特典で、昨年度の入門講座(全体構造編、特許法編)の授業を視聴することができました。
授業を見ながら、おー、この人が納富先生かー、などと思いながら、授業を視聴していました。かなりテキパキとされており、早口・理路整然と、声もスッキリ聞きやすい。思えば、事前に納富講師の体験講座などを受けずに、家の近さだけで選びましたが、水道橋本校を選んだのは正解だったなぁと素直に思います。あと、申し込んだものの、コースの内容を分かっていなかったので、ちゃんと把握に努めました。どうやら、入門期として【入門講座】→【論文基礎力完成講座】→【短答基礎力完成講座】その後アウトプットコースに入るというのが大まかな流れです。論文試験対策を入門期から行っていくのがLECのカリキュラムの特徴だということでした。
この頃は、予習・復習もあまりせず、かなり気楽にウェブで授業を受けているだけでした。復職先の職場にもだいぶ慣れてきました。仕事ができるわけではないですが……。また、ゴールデンウィークにオーストラリアに旅行したり、通学開始に向け、準備を万端に英気を養っていました。

入門講座

さて、いよいよ2014年の6月。通学が始まりました。【入門講座】では、まず全体構造⇒特許⇒意匠⇒商標⇒条約⇒不正競争防止法⇒著作権、と進みます。7月になって意匠に入った頃に、【論文基礎力完成講座】が始まり、並行します。6月、7月の特許の内容は、予習していた甲斐もあって、それなりに理解できていました。この頃はまだ飲み会とかにも積極的に参加したり、夏には式根島に旅行したり、北海道に旅行したり、非常に気楽でした。LECの入門講座は内容的にも簡単で、かなり勉強を楽しんでいたころです。予習・復習もそれなりにちゃんとやっていましたが、試験前のように根を詰めてやっていたわけではありません。また。納富講師は口癖的に「入門が最も大事」とおっしゃっていましたが、まったくもってその通りだと、あとあと思います。しっかりと、また楽しんで入門講座を受けるのが良かったと思います。夏に、仕事業務の都合上、エネルギー管理士の試験を受験いたしました。こちらの資格は、課目合格にとどまりました(つまり不合格)。

論文基礎力完成講座

LECのカリキュラムは、入門講座と並行して、論文基礎力完成講座が始まります。はじめての論文なもので、最初はいったい何を書いていいのか、そもそも試験中に法文集を見ていいものなのか、何も分からず受講していました。論文講座は、楽しかったです。細かい知識を問われず、網羅的に論文を構成する作業が、非常に知的好奇心を刺激されました。しかし、点数は思ったほど伸びません。100点満点中、60点以上あればだいたいOK的な感じなのですが、特許は4回の答練で一度も60点を超えることはありませんでした。意匠、商標で何とか60点程度を取ることができました。これは、特許法の知識が全く足りていない証拠でもあります。
論文基礎力完成講座は8回で終わりです。思えば試験勉強で楽しかったのは、この辺まででした。

短答基礎力完成講座

10月から2月の入門講座終了までは、ずっと短答の対策になります。順番としては、特許、意匠、商標、条約、不著、と1条ずつ法文を見て、講師の解説を受け、というのをひたすら続けます。もちろんわかりやすい解説や背景を説明して頂けるのですが、細かく細かく見ていくのです。本当に辛い作業でした。
秋くらいは、日光旅行に行ったり、飲み会に参加したりしていました。冬にはスノボにも2回程行きました。講義を受けている時は楽観的でした。あまりに膨大な法文に対し、いくらやっても覚えれないのですが、直前で詰めていけば、きっと覚えていくだろう。今思えば、かなり甘い考え方でした。模試や実践答練が始まった頃に、そのツケが回ってきます。

年明けてからの合格答練、実戦答練

年始は、いろんなところに初詣しました。今年は長年の思いがつまった弁理士試験を受験する年ですから。年始から、特許庁が発表する試験公告やお知らせ等を細目に確認しました。噂で知ってましたが、平成28年度からの試験制度変更なども発表されました。つまり、さらに試験は難しくなると思われます。具体的には、課目最低点の導入です。
1月からは、論文の合格答練が始まりました。答練は水道橋本校で受験して、解説はwebで受講する形です。特許の論文は、点数が伸びませんでした。まだまだインプット量が少ないのを痛感しました。特許は、良くても50点台、悪ければ20点台とかなり不安定。そもそも、この試験は特許法の試験なので、かなりやばい状態です。意匠・商標は、60点を取ったりもして、特許よりもまだましでしたが、それは条文数が少ないことが影響して、点数が取りやすかっただけだと思われます。
2月には、コースの全講義が終わりました。長かったですな。しかし、ここからなのです、本当の闘いは。論文合格答練と並行して、短答実践答練が始まりました。短答答練でも特許法は散々たるもので、20点台でした。この頃になって、ようやく短答過去問に手を付け、勉強を開始します。目標は、3周です。これは無事に達成しました。

模試

3月くらいから模試が始まります。というのも、TACの模試を申し込んで、受験してみました。1回目の結果は、20点。ひどい。というか全然点数が取れなくてびっくりしました。この辺でようやく、本当にようやくギアが入った感じがします。4月に受験したTAC2回目の模試、とLEC1回目の模試はそれぞれ、31点、35点でした。まぁそれなりに点数が整ってきた気がします。しかし、模試や総合答練で合格ラインとされる39点を取ることは、結局できませんでした。4月に過去問の2週目が終わり、過去問の正答率はだいぶあがってきました。しかし、それでも特許で7割、意匠・商標は8割程度の正答率。思った以上に点数が伸びない局面でした。いよいよあせってきます。
GWにTACの3回目、最後の模試も35点でした。もうあと少しの点数ですが、この少しの点に大きな壁を感じていました。一方、過去問を年度別にやってみると、平成26年の過去問は50点だったりしたので、すこし希望があったりしました。これは、答を覚えてしまっている部分もあるのですが、まぁ明るくとらえました。

短答試験

さぁ、ついに短答試験となりました。3日くらい前から、かなりの緊張であまり知識が入ってくる気がしませんでした。直前で有給をぽつぽつ取っては、LEC自習室で勉強する日々でした。GWも土日も返上し、準備に準備を重ねて、迎えた当日本番2015年5月24日。場所は青山学院大学渋谷キャンパス。表参道とは思えないほど、おっさん達がキャンパスに吸い込まれていいきます。大学入試バリに各予備校が正門前でパンフレット等を必死にくばっていました。はじめての弁理士試験なので、すべて新鮮で、とりあえず「弁理士試験」と書いている看板を撮影しました。
初めての短答試験は、本当に緊張しました。手が震え、浅い思考で問題を解いていった気がします。さらには尿意がなんどもこみ上げ、一度トイレに行きましたが、終盤もトイレに行きたくて、試験が終わってすぐトイレに向かったほどでした。模試などでは、だいたい3時間くらいで終わるのですが、本試は2時間半でほとんど終わりそうになりました。見直しをしたものの、どの解答も直すことなく、試験は終了いたしました。
本当に疲れ、家に帰ってすぐに寝ました。夜中に起きて、迷ったのですが、LECの解答速報を見ることにしました。結果は・・・・・・34点でした。疲労感とやっぱりという感じで、どっと疲れました。翌日は飲みに行き、もう完全にふてくされてしまいましたが、その後今年のLEC解答速報はけっこう間違っていると聞きつけ、急に淡い期待が。その次の日に特許庁の正式解答を確認したところ、32点でした。2点も下がりました。がっくりでした。
この時は、自分ではけっこうやったつもりだったので、来年受けても合格する気がないくらいに、弁理士試験に打ちのめされてしまいました。1点の重みを知っていたため、10点ほど足りないというのは、いかに理解度が低い状態であるか、分かるのです。
後日、ちゃんと特許庁から不合格通知が来ました。32点でした。うん、がっくりでした。

しばしの休息

正直、自分では合格するつもりで一年間過ごしてきて、合格へのハードルがもっと高いところにあることを直前で感じさせられ、一か月くらいは立ち直れませんでした。来年受験するかどうか、正直分からないくらいモチベーションが低下してしまいました。本当にこの資格が自分の人生にとって有用なのか。本当に弁理士として働いてみたいか。明細書書きになるのが理想なのか。弁理士は特別給料が良いわけではありません。弁理士になっても、常に自己研鑽ですし、終わりではないのです。特許事務所で働くということがベストであれば、資格にこだわらなくてもいいのでは?などなど、いろいろ考えるのに時間が必要だなぁと思ったのです。なので、しばらくは弁理士試験に距離を置いてみようかなぁと思っています。また弁理士試験に挑戦する気持ちが出てきたら、勉強していきたいなぁと考えています。来年受けるか、再来年受けるか、もしくは少し時間が経ってからか、しばらく考えていきたいと思います。

最後に

さて、最後に自分の不合格にあたり、反省点及びふまえたアドバイスを3つ挙げます。受験生の方はご参考ください。

もし弁理士に興味があるなら、さっさと受験勉強を開始すべし。

弁理士数が増大してしまったのを受けて、弁理士合格者数を減らすために、試験が年々難しくなるのは既定路線です。さっさと勉強を開始しましょう。2年後受かるのは、10年後合格するよりかなり簡単です。

かなりの難関試験です。覚悟すべし。

旅行とか遊ぶとかしている暇がないほどの難関試験になっています。今後はより難関資格になるでしょう。資格試験は受かる保証もありませんし、合格という結果だけが全てですので、長期戦になるかもしれません。ドツボにはまる可能性もあるので、それ相応の覚悟を持って挑むべきです。

まずは、短答に全精力をつぎ込むべし。

特に初学者は、短答と論文を並行して勉強する時期は早々に見切りをつけ、短答試験合格に集中するべきです。短答に受からなければ、元も子も無いのです。

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